最高のセールス | 池津権太.com

最高のセールス

これは約20年前に出会ったセールスマンの話です。
いまだかつてこれを上回るセールスマンに出会ったことはありません。


 それは私が新入社員だった頃。独身寮で「週末の午前中に食堂でクラシックのCDコンサートをやる」との告知がありました。クラシックが特に好きだった訳ではありませんが、ヒマだったので行ってみました。食堂に足を踏み入れると、スーツ姿のセールスマンが寮生を待ち構えていました。「何?セールスか?聞いてないぞ!」と皆、身構えました。するとそのセールスマンはにこやかに言いました。「まあリラックスして座ってください。プレゼントをいろいろ用意していますので。」皆、とりあえず座りましたが、警戒心ありありです。

 

 まず、曲名と作曲者あてクイズが始まりました。正解するとネクタイピンなどがもらえますが、クラシックファンばかり当てるので他の人は不満げです。すると、CMあてクイズが始まりました。その曲が使われているCMを当てるというものです。クラシックに詳しくない人も皆、身を乗り出しました。さっきまでの警戒心はどこへやら、かなり盛り上がりました。その後、ストレス解消に効く音楽や、やる気が出る音楽などを紹介をしたあと、セールスマンはおもむろに本題を切り出しました。「今日伺いましたのは、CDセットのご案内です。」「キター!」いつでも逃げ出せる態勢の寮生。「66枚組のCDセットです。通常3千円×66枚=約20万円ですが、これをいくらでご提供するかお分かりですか? 当たったら、このセットを差し上げます!」と言いました。一同騒然とし、皆まちまちの値段を言いましたが正解はなし。実際の金額は皆の予想を下回り(10万円くらいだったでしょうか)、それほど高くないと思うような水準でした。

 

 興奮状態から落ち着いた頃、CDセットの説明が始まりました。クラシックにはカラヤンの第9、ホロビッツの・・・というような「名盤」があるが、このセットはそれを集めていること、それら名盤を個別に集めると66枚ではおさまらずに高価になること・・・。そして殺し文句。「皆さんはこれから結婚して、じきに子どもができるでしょう。その子が学校から帰ってきて、「お父さん、今日、音楽の授業で○○を聞いたんだけど、とってもいい曲だったの。おかあさんにも聞かせてあげたいんだけど、その曲のCD、うちにある?」と聞かれたとき、『もちろんあるよ。』と言いたいですよね!」 一同、「う~ん」とうなってしまいました。結婚どころか彼女すらいないのが大半なのに、ひとり、またひとりと申込書に手を伸ばし始めました。参加していた10人中7人が購入しました。そのうちふたりは、CDプレーヤーを持っていませんでした。モノそのものではなく、そのモノが使われるシーンを訴えられて、コロッといってしまったのでした。

 

 その後、CDなのに音が飛ぶものがありました。66枚を一気に聞くわけではないので、買ってから1年以上経っていました。「売る時のスキルはすごいが、アフターサービスはどうだろう。購入後1年経っているので有償と言われるだろうな」と思いつつ連絡してみると、なんとそのセールス氏自ら新しいCDを持って来ました。無料でした。これにも驚きました。

 

 そして20年がたちました。TVドラマ「のだめカンタービレ」で流れたラフマニノフを聞いたりして、「全部聞いたわけではないので安い買い物ではなかったが、全く無駄ではなかったか」と思っていたら先日、音楽部に入っている娘から聞かれました。「お父さん、今度エルガーの『威風堂々』って曲を演奏することのなったんだけど、うちにそのCDある?」これは20年前に聞いたフレーズじゃないか! 私は興奮を抑えて答えました。「もちろんあるよ。」